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2008年1月

ワレモノ

 「この中にはワレモノが入っています」と、ガラスや瀬戸物が運ばれてくるダンボールケースには、大概そんなようなことが書かかれたシールが貼ってあったりなんかする。

 「○○様からのお届け物で、中に『ワレモノ』が入っておりますので、お気をつけ下さい」・・・・・

 「私、そんな割れてるようなもんいらんわ~。危なくってしゃあないがな~。『ワレルかもしれないモノ』やったら受け取りますけど・・・・・・」

 いっぺんそんなことを言ってみたいと思いながら、宅配業者さんから「嫌ワレモノ」になるのが嫌なので、まだ言ったことはない。

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ダンボール

 世の中の流通において、いろんなものがダンボールケースに入れられて運ばれる。

 本当のところダンボールたち自身は、何を運びたいのだろう?

 食材、衣類、文具、割れ物、やばいもの?

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まぐろちゃん

 回転寿司屋さんにしても、回転しない方のお寿司屋さんにしても、店の方針とか特別高いネタということでない限り、一般的ににぎり寿司は二貫ずつ出てくる。だいたい二貫ずつ食べるとは思うが、一貫ずつ二人で分けて食べる場合もあるだろう。

 今とりあえず、まぐろのにぎり寿司が二貫出てきたとする。その一貫ずつは、大きさも、見た目も、まさしく同じまぐろのにぎり寿司。隣り同士で「僕たちって、どんな人に食べられるんだろうねぇ~」なんて、いろいろ話でもしているのだろうか、仲良く並んでいる。

 二貫とも、同じ人に食べられるなら問題はない。二貫とも、運命共同体で、「お上品な人が食べてくれはったねぇ~」とか「育ち盛りの子供さんが食べてくれやったねぇ~」とか、胃袋の中で話しているかもしれない。

 しかし、二人連れのお客さんが、「一貫ずつ、分けよか?」となった場合、二貫仲良く並んでいたにぎり寿司も、それぞれに穏やかではないだろう。どちらのお客さんも、にぎり寿司たちの好きなタイプ、あるいは、嫌いじゃないタイプのお客さんなら、どちらに食べられてもいいと思うかもしれないが、そうじゃなかったら、「ほんと!お願いです!味は同じですから!こいつじゃなくて!私を食べて!」なんて叫びたいんじゃないだろうか?

 例えば、今、正味の年の差カップルなのか、父と娘なのか、あるいは「お手当て弾むからさ~」と愛人関係なのか知らないが、そんな男女の二人連れが、今まさに二貫のにぎり寿司を一貫ずつ分け合おうとしていたとする。

 女性は、フェロモン出まくりの、いい香りがプンプン漂う、やらしい口元の、ものすごいセクシーな若い女性。

 男性は、加齢臭がプンプン漂い、歯も三日ぐらい磨いておらず、歯糞が腐り始めていて、タバコとコーヒーが混ざったような臭いのところに、胃が荒れているのかドブみたいな臭いとが混ざったような最悪の口臭で、最高にくうっっっさい!!!口元の、ものっっっすごいおっさんだったとする。

 もし、あなたがこのまぐろのにぎり寿司だったとしたら、はたして、どちらの「まぐろちゃん」になりたいのだろうか?隣りのもう一貫は、ものすごい親友だったとしても、「私を食べて!」と、とりあえず届かぬ声とは分かっちゃいても、叫ぶのだろうか?

 でも、こういう場合、にぎり寿司である自分自身が、そのセクシーな口元に飛び込んで行くことはできないし、あるいは、よっぽどの「おっさんフェチ」それも「不潔なおっさんの方のフェチ」で、「おっさん、食べて!」と叫んでみても、届かぬ声。運命に身を委ねるしかないんだなぁ・・・・・・。まさに、自分の力ではどうにもならないとはこういうことなのだろう。

 人生にも、時折、そんなときがある。

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湯飲み茶碗

 湯飲み茶碗と言う。

 何で?

 湯を飲むから、湯飲み湯碗、茶を飲むから、茶飲み茶碗なら分かる。

 そう考えると、湯を飲むとき、湯飲み湯碗と、なぜ言(ゆ)わん?!

 そして、そんな私たちは、お茶碗でごはんを当たり前のように食べている。

 もう、訳が分からない・・・・・・。

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お茶と急須

 私たちは、食べ物や飲み物を口から摂取する。そして摂取したものは、やがて体内で分解され、栄養分は吸収し、老廃物は、大小便として体外へ放出される。つまり、「上の口」から摂って、「下の口」から出す。

 「上の口」から摂って「下の口」から出す。

 ん?「上の口」から摂って「下の口」から出す?

 そう考えると、例えば、急須はどうなるのだろうか?

 私たちは、一般的に、急須の上のフタを開けて、お茶っ葉を入れて、お湯を注いで、お茶がよく出るのを待って、湯飲み茶碗に入れて、お茶を飲む。つまり、人間の営みに照らし合わせて考えてみると、急須は「上の口」から、「食べ物」である固体のお茶っ葉、「飲み物」である液体のお湯を摂取し、急須の「体内」で分解し、急須の「下の口」からそのお茶を放出する。そして、私たちはそのお茶を飲む。

 そんな風に考えると、私たちが「お茶」を「おいしい!おいしい!」と言って飲んでいる行為は、「急須のオシッコ」を「おいしい!おいしい!」と言って飲んでいる行為なんじゃないだろうかと思い始めてしまった。

 オシッコ健康法???なんちゃって・・・・・・

 お下品過ぎてすいません!

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快適指数

 季節も暑くなり、蒸し暑さが際立ってくると、天気予報などでもその日の不快指数はいくらいくらだとか言い始める。そんなものわざわざ教えてくれなくても、みんな充分不快感に苛まれているのにだ。

 「もう、蒸しあっついな~!!」

 「たまらんなぁ~この蒸し暑さ!!」

 「何もせんかて、もう汗ボトボトや!!」

 街のあちこちで悲鳴にも近いボヤキ声が聞こえてくる。そんなところにわざわざ情報通な人が話に加わり、メディアを通じて小耳に挟んだ不快指数を、ご親切にもわざわざ教えてくれるのだ。そんなもん聞いたら、余計にしんどなるっちゅうねん!

 「ちょっと奥さん、知ったはる~?今日の不快指数、98%やて~!!ほんま、どうする!?98%やで!!ほんま、かなんねぇ~この蒸し暑さ~!」

 「へぇ~、98%!!ほんまぁ~。そら、倒れる人出てくるわ~」

 不快極まりないところに、不快極まりない情報を98%も上乗せして、何が楽しいのか理解に苦しんでしまう。ボヤいてみたところで、不快なものは不快なのである。それなら、同じ情報でも、

 「今日の快適指数2%やて~」

 と、伝える方が、2%だけでも快適な気がするのだが・・・・・・。

 「しかし、奥さん、今日はほんんんんっっっっまに蒸しあっついね~!」

 「ほんま私、年々この蒸し暑さに耐えられへんようなってくるわ」

 「今日の快適指数、2%やて!」

 「あ、ほんまに~!ひや~、それ聞いたら2%分快適なってきたわ。あ~涼し!」

 と、こういう具合になると思うのだが、いかがだろうか?

 ・・・・・・

 ならへん!!っちゅうねん!!

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贅沢指標

 人間というものは、贅沢しだすとキリがない。

 おいしいものを食べると、次はもっとおいしいものを求め、またさらにもっとおいしいものを求めたりする。

 しかし、いくら大金持ちの人でも、毎日毎日、毎食毎食、高級ホテルのシェフや、高級料亭の板前さんが作ったような贅沢料理ばかりも食べていられないだろうと思う。

 そういう高級食材を使った贅沢料理での話ではなく、スーパーの特価品、タイムサービス半額品など、一般的に安く買い物してきた食材で、自分自身がいざ食べる際、「うわ~今日は贅沢してるなぁ~」って感じる基準みたいなものって、人それぞれにあるのだろうか?

 私の場合は、トースト。

 特価の食パン一枚を焼いて、特価のマーガリンの入れ物のフタを開け、マーガリン用のナイフでマーガリンを薄~く薄~くへつって、一塗り、二塗りする分には、「あ~庶民的!」と思って落ち着く感がある。

 しかし、そこに、たとえ「特価品だ!」「半額品だ!」と言って買ってきたものであっても、食パンにマーガリンを塗り、スライスチーズを一枚載せてトースターに入れた日にゃ、焼き上がるのを待っている間、「うわ~~、何て贅沢なことをしているんだろう・・・・・・」と、少々反省してしまう。

 そして、さらに、たとえ「特価品だ!」「半額品だ!」と言って買ってきたものであっても、食パンにマーガリンを塗り、スライスチーズを一枚載せて、スライスされたハムを一枚載せてトースターに入れた日にゃ、焼き上がるのを待っている間、「うわ~~、ものっすごい贅沢してるよな~。罰(バチ)当たるんちゃうか・・・・・・」と、頭を抱えてしまう。

 「三つ子の魂百まで」とよく言われるが、この感覚、あくまでも私の場合の私自身に対する贅沢指標ではあるが、死ぬまで無くならないように思える。

 百貨店で買って来られたお菓子、ケーキ屋さんのケーキ、和菓子屋さんの和菓子などなど、もちろんおいしくてしょうがないのだけれど、未だに口の中が余所行きになって、身構えてしまって、少々落ち着かない感がある。

 子供の頃、駄菓子屋さんで買って食べていたような、今じゃ懐かしい駄菓子類を食べるのが、私にはしっくりくるのかもしれない。味的にも、値段的にも・・・・・・。

 とろろごはん、うまいなぁ~。

 玉子かけごはんも、うまいなぁ~。

 とろろ玉子かけごはん、めちゃくちゃ贅沢やな~~。贅を尽くすたぁ、このこっちゃで!

 

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貨幣ちゃん

 文明が発達した現代社会においては、世界各国、貨幣が製造されて、私たちの生活空間に出回り、貨幣経済を成り立たせている。

 とりあえず、千円札一枚を例に挙げて、話を進めたいと思う。

 その千円札一枚。生まれた当初っていうのは、製造番号などが近ければ、おそらく、元は同じ大きな一枚の紙だった!という兄弟姉妹のような関係にあたる千円札が数枚いたはずである。三つ子ちゃん、五つ子ちゃんどころの騒ぎではなく、十何つ子ちゃんだったはずである。

 あるいは、位置的に言えば、その千円札を取り囲む前後・左右・上下になって生まれてきた千円札は、いわば同期だったり、ご近所さんとして生まれてきたわけである。つまり、親しい間柄だったり、顔見知りだったりするということになる。

 そして、いざ、私たちの生活空間に出回るとき、おそらくその千円札たちは、お互いに「元気でな!」「達者でな!」「またな!」などと、励ましの声を掛け合いながら、さよならして行ったんじゃないだろうか?

 一旦私たちの生活空間に出回ると、千円札たちは、老若男女問わず、いろんな人たちの財布やポケット、貯金箱、金庫、祝儀袋や香典袋、などを経由して、あちこちに散らばって行く。

 「またな!」と、再会を誓い合った千円札たち。はたして、世の中にある、どれだけの枚数の千円札たちが、あちこちを巡り巡って、「あ、久しぶり!」なんて、偶然誰かの財布などで再会しているのだろうか?

 そして、しばらくゆっくりしゃべるだけの時間があるのだろうか?あるいはせっかく再会したのに、すぐ財布からまた出て行っちゃったりしちゃったりしているのだろうか?

 あ~、何だかせつない。

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「思う」に思う

 誰かのことを思う・・・・・・、なんて書いてみると、純真無垢な少年少女や、純朴な青年男女が、淡い恋心を抱いている相手のことを思いながら、黄昏ているようなイメージをつい抱いてしまう。その物思いに耽っている姿には、いやらしさというものがない。

 あぁ、恋っていいものだなぁ・・・・・・、誰かに恋をしている当の本人は、その熱い思いに胸が苦しかったりするのだけれど、その姿を傍で見ている恋をしていない人たちにはうらやましかったりする。若い頃の恋心なんてはるか遠い昔話、となってしまった世代の人たちにとっても、そんな姿が懐かしくなったりなんかする。

 誰かのことを思う・・・・・・。

 そこにはいやらしさなんて微塵もない。本当に純粋な美しい姿。スケベな妄想なんてどこにもない。あるはずもない。あってたまるかこの野郎!

 誰かのことを思う・・・・・・。

 そう、読んで字のごとく、誰かのことを思っているだけなんです。

 でも、「思」っているだけで、そこにはもうすでに、しっかりと「下心」があるのです!いくら清潔感あふれる「スケベ心なんて一切持っておりません!」みたいなまじめ腐った好青年でも、いくらお上品な顔をして「私、何も知りませんのよ」みたいな清楚なお嬢さんでも、誰かを「思」った時点で、もうそこにはしっかりと「下心」があるのです!

 「私は、ただ彼女のことを『思』っているだけなんです!本当です!」なんて硬派ぶってみたところで、また、「私は、ただ彼のことを『思』っているだけなんです!私には、下心なんてありませんのよ」なんてお上品ぶってみたところで、「思」っただけで、「下」には「心」があるのです!

 「お客様のことを『思』って、この商品をおすすめしているのです!」・・・・・・、買っておくれと下心があるのです。

 「君のことを『思』って、そうしろと言ってるんじゃないか!」・・・・・・、そうなってくれた方が、こちらにとっちゃ都合がいいと下心があるのです。

 「ちょっと、君!」「はい、何でございましょう」「これ似合ってると『思』うかね?」なんて聞かれた日にゃ、「はい、似合ってると『思』います!」・・・・・・、そう言えば、ご機嫌取れると、下心。

 あまり真に受けて読まないで下さいね。人間不信が深まりますよ。

 思い、思われ、恋いこがれ、そこにあるのは下心。

 

 

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ご挨拶&サイトポリシー

読者のみなさまへ

謹啓

 この度は、お忙しい中、万障お繰り合わせの上、わざわざ、小松知広の「日常にうるおいを与える考察」ブログに足をお運び頂きまして誠にありがとうございます。

 世の中に存在する数えきれないブログの中から、アクセス賜りましたのも、これまた多少の縁かと存じます。このブログを通じて、あなたの人生の時間と私の人生の時間を、しばしの間ですが共有できましたら幸いです。

 偶然にも、このブログが、あなたの日常に少しでもうるおいをご提供することができましたなら、ありがたき幸せにございます。できませんでしたら誠にかたじけないです!先に謝っておきたいと思います。申し訳ございません。

 せちがらい現代社会に、やわらかい視点をそそぎ、ブログを進めてまいります中で、読者のみなさま、そして、私自身にとりましても、アイデアのヒントや新たなる発想につながるような「きっかけ」みたいなものを探求していけたらと考えております。

 気楽に読んで頂いて、気楽に忘れて下さいませ。

 アクセス頂いたあなたと同じ時代に生まれたことをうれしく思います。

                                             謹言

                                             小松知広

                                           (こまつともひろ)

追伸: サイトポリシーについて

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